朝日新聞「北朝鮮の日本人妻を襲った悲劇の連続 報道写真家が見た」

■ニュースメディア

朝日新聞

 

■ニュースタイトル

「北朝鮮の日本人妻を襲った悲劇の連続

 報道写真家が見た」

 

■ニュース掲載・報道日

2019年9月5日

 

■フェイク箇所

 祖国の親族と連絡が取れなくなった人も多く、ほとんどの人は一度も里帰りができていない。高齢化も進み、故郷の親に会えないまま亡くなる人が相次ぐ状況だ。

 中央アジア・キルギスで行われる「誘拐結婚」、過激派組織「イスラム国」に襲撃されたヤズディ教徒……。現地に深く入り込む手法で、林さんは国際的に評価されてきた。

 

 今回の取材について「同じ社会に暮らす在日の人々の歴史を知らないことがずっと気になっていた」と話す。「当初は北朝鮮で深い取材をするのは難しいだろうと思っていましたが、女性たちの年齢も考えると今しかないと思い、チャレンジしました」

 国際NGOや研究者、担当編集者らの援助を得ながら北朝鮮当局に取材を申し込み、渡航を重ねた。取材には必ず「通訳兼案内人」が同行した。撮ったコマをチェックされることはなかったという。

 宮崎県出身の井手多喜子さん(16年9月に89歳で死去)には、北朝鮮東部・元山の自宅アパートで2回取材した。井手さんは61年に帰還事業で、夫とともに日本を離れていた。親からは在日朝鮮人との結婚に反対されたという。

 生前、「死ぬ前にもう一度ふるさとに行きたい」と言っていた。「死んだ後でもいいから日本へ行けるかな? お母さんのお墓の隣に」とも。

 林さんは今回そのふるさとへも足を運び、井手さんの親族に取材した。母親が生前に仏壇で毎朝、井手さんとその子どもたちの名を唱えていたことが分かったという。

 東京生まれの皆川光子さん(80)は、60年に夫とともに北朝鮮へ渡っていた。在日朝鮮人だった夫とは学生時代に北海道大学で出会った。親は在日の男性との結婚に反対し、結婚式に出席しなかったという。母親からは北朝鮮行きも制止されたけれど、いずれは簡単に行き来ができるようになると当時は思っていた、と林さんに証言した。

 交流が国境で途絶されること自体が新たな悲劇の土壌になる様子も見えた。たとえば、日本人妻が故郷に手紙を出しても届くとは限らない現実があった。結果、日本の親族に「手紙を送ったのに返事も寄越さない」との誤解が生まれている例もあったという。

 女性たちが朝鮮半島に渡った背景に、当時の日本の在日差別もうかがえたと話す。「もし夫に対する強烈な差別を見たら、『このまま日本にいたら将来、自分の子どもも差別されるのでは』と私も不安になったかもしれません」

 北朝鮮の日本人配偶者については97年~00年に「故郷訪問事業」が行われたが、一時帰国できたのは計43人にとどまっている。

 林さんは取材をこう振り返る。「妻として夫や子どもと一緒にいたいと願ったり、周囲の在日差別に反発したり……政治や時代に翻弄(ほんろう)されながらも自分の生き方を持とうとした彼女たちの姿に、共感できる自分がいました」

 「写真を撮ることで、彼女たちが北朝鮮で生きていること、生きてきたことの証しを残したかった」(編集委員・塩倉裕)

 

 

■フェイク理由・ソースURL・その他

 珍しく、朝日が北朝鮮問題を取り上げたと思ったら、また例によっての“在日差別”云々のプロパガンダ。北朝鮮に渡った元在日朝鮮人と日本人妻への北朝鮮での差別迫害の方が遥かに酷かったことには一言も触れていない。

 そもそも、朝日新聞が率先して「地上の楽園」と北朝鮮を宣伝し、朝鮮総連の誘いには懐疑的だった在日朝鮮人たちが帰国を決意する切っ掛けをつくったのでは?

 北朝鮮に渡った日本人妻が辛酸をなめたのも、裏取りもしないで北朝鮮のプロパガンダを垂れ流したマスコミに責任があるのでは?

 日本人妻の惨状を考えれば、結婚に反対した親には先見の明があったとも云えるのでは・・・・


■検証記事

-------------NEWS ポストセブン 2016.7.18

■当該記事

------------------------  朝日新聞 1971.12.2

■検証記事

----------------  twitter  2016

■参考記事

--------------------  朝日新聞 2019.12.14

■参考記事

--------------- 朝日新聞 2018.8.20

■参考記事

------------------------  産経新聞 2015.5.2