朝日新聞を初めとするオールドメディアの問題点に、
「情報を隠蔽する」があります。
北朝鮮による日本人拉致事件を
「北朝鮮への密入国」と報じて、
日本人拉致事件の実行組織を取り締まる法律の制定に反対キャンペーンを張ったのが、彼の大新聞です。
「国民の知る権利」が侵害されたことにより、第二第三の拉致事件が起きたとされています。
------------------ 産経新聞 2018.6.10 より引用
ジャーナリスト、櫻井よしこが読む
『メディアは死んでいた 検証 北朝鮮拉致報道』
阿部雅美著 拉致未解決は誰の責任か
「日本海の方で変なことが起きている」
小耳にはさんだつぶやきから阿部記者は動き始めた。本書は一人の社会部記者の事実を探り当てようとする、記者として最も本質的かつ真っ当な取材の記録である。
読みながら、度々私は胸の動悸(どうき)に襲われた。「そうだったのか」という心揺さぶられる思いに打たれた。
突然消えたアベックの事例を探しに行った新潟では見えない壁に阻まれた。執念と努力、拒絶と孤独と偶然の入り交じる中で、田畑の点在する民家に辿(たど)り着き、そこに「蓮池」の表札を見いだしたときのくだりで、私はまたもや圧倒された。記者の地道な取材の、凄(すさ)まじい迫力に、なぜか、涙が出た。
ついに阿部氏の取材が「産経新聞」の大スクープとなって報じられた1980年1月、すべての他社と専門家がこれを無視した。その中でただ一人反応したのが横田早紀江さんだった。早紀江さんは「瞬間的に、これかもしれないと思った」のだ。彼女は直ちに産経の新潟支局を訪ね、めぐみさんの件と一連の拉致事件がつながっているのではないかと尋ねている。
〈早紀江さんの“母の直感”は、当たっていた。めぐみさんは北朝鮮に拉致されていたのだが、それが明るみに出るのは17年も後のことだった〉と阿部氏は書いている。
『メディアは死んでいた 検証北朝鮮拉致報道』
その時から40年以上が過ぎた。安倍晋三首相は世界の指導者に拉致問題を説明し、国連で拉致をテロとして北朝鮮に対する非難決議を実現し、国際包囲網を築いてきた。ここまで国際政治を動かしても、さらに米朝会談が行われても、結局、拉致問題解決の最後の決め手は、わが国のあり方である。
国民を守るという国家の最重要の責任を、わが国は果たせてこなかった。防げたはずの第二、第三の拉致も防げなかった。なぜか。政府とともに、「死んでいた」メディアに大きな責任がある。
とりわけ拉致を密出国と報じるなど、産経の対極を行った朝日新聞はひどく死んでいた。彼らは「モリカケ問題」で今も「死んでいる」と思う。(産経新聞出版・1400円+税)
評・櫻井よしこ(ジャーナリスト)
-------------------- 産経新聞 2013.12.16(iZa)
日本は、北朝鮮による拉致をなぜ防げなかったのか。他国からの侵害と悲劇を二度と許さない方策を探る。
その事件は警察関係者にとって今も悔恨事だ。漆間巌(うるま・いわお)・元警察庁長官は振り返る。
「あのとき一網打尽にできていたら、日本人拉致事件のその後の展開は変わっていたかもしれない」
「宇出津(うしつ)事件」。昭和52(1977)年9月19日、石川県の宇出津海岸から、東京・三鷹市役所の警備員だった久米裕(ゆたか)さん=拉致当時(52)=がもうけ話にだまされ、北朝鮮に連れ去られた。
宇出津周辺は数日前から特別警戒態勢下にあった。「KB情報」と呼ばれる電波が傍受されていたためだ。
KBはコリアン・ボートを意味する。その電波は鉄琴をこすったようなジャックノイズという特殊音を発する。
だが、警察は上陸地点を絞れていなかった。現場には人目につかない入り江が無数にあった。
捜査を急転させたのは、宿泊客の久米さんと在日朝鮮人の男の挙動を不審に思った旅館の女将の通報だった。
だが、捜査員が駆けつける前に久米さんは連れ去られていた。警察は1人で旅館に残っていた在日朝鮮人の男を外国人登録法違反容疑で逮捕。男は戸籍入手の目的で久米さんを北朝鮮工作員に引き渡したと自供した。
拉致に関与した人物が自供した初めての事件となった。
そのほとんどの事件で捜査当局には、1970年代後半に日本海沿岸でピークとなっていたKB情報が入っていたが、その情報を生かしきれなかった。
日本の治安捜査には大きな壁がある。他国の諜報活動や敵対的工作活動を直接取り締まるスパイ防止法がなく、容疑者への接近が困難だ。犯人に迫っても令状の罪状を「別件」で見つけなくてはならず、捜索にもなかなか踏み込めない。
宇出津事件で逮捕した男も逮捕容疑は拉致に直接関係ない外国人登録法違反。自宅からは暗号解読に使う乱数表が見つかったが、「被害者がいない。主犯もいない」として結局、起訴猶予となった。
捜査が真相まで伸びることはなかった。
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